「日本語を教えるための第二言語習得論入門」

第二言語習得論を学ぶと必ずクラツェンの5つの仮説を習います。
そして、その中に、「自然順序仮説」というのがあり、言語には習得できる「普遍的な」順序が存在する、というのが出てきます。
そういうのを読むと、じゃ、日本語を教えるのに(学ぶのに)も、そういう順序があるのか?その順序を変えると習得が遅れるのか?という疑問がわいてきます。
そういう疑問に対する答えがあるのじゃないかと期待してこの本を読むと、その期待は見事に裏切られます。まあ、よく考えれば当たり前の話で、そういうすばらしい!研究成果が出ていれば大きなニュースになるはずですし、養成講座などでも教えないわけがないはずですから。
でも、唯一絶対の教え方のようなものは存在しない、ということにあらためて気づかせてくれる内容だという点で、この本の価値があります。
言語習得には様々な仮説が出されていますが、どれも仮説の域を出ていないし、その仮説をどう検証するのかは、人間の高度な認知の領域であるがゆえに難しいことです。そのような限界を知ったうえで、これまでに明らかになったことをどう教育に生かすのか、という視点が大事だというのが著者のメッセージでしょう。
学ぶ人、一人ひとりに、学ぶ目的、これまでに受けた教育、自分の持つ経験やその中から生まれた学習感、性格、今置かれている環境など、違うものがあります。それを、こう教えれば必ずうまくいくというような「メソッド」で教え込めば成功する、というやり方では、うまくいかないのは当たり前なのです。
これまで自分が受けてきた教育を振り返るにつけ、必ずどこかに正解があり、その正解を速く探せるのが「学習」の目的だったことをよく思い知らされます。正解がないことはつらいことです。正解はないけれど、いろいろな「解」があり、いろいろ考える過程こそが学ぶことだ、と自分の思考回路を作りかえることができるか、最近、つらつらと考えています。

日本語を教えるための第二言語習得論入門

日本語を教えるための第二言語習得論入門