「母さん、ぼくは生きてます」

前掲「”ようこそ”と言える日本へ」の中でも触れられていたアフガニスタン「難民」、アリ・ジャン君の「手記」。アリ・ジャンはタリバンの迫害から逃れて日本に難民申請したにもかかわらず、「難民」とは認められなかった。
そのアリ・ジャンが成田に降り立ったあと、ウシクに収容され、多くの人の支援で仮釈放され、東京の夜間学校で皆勤賞をもらうようになるまでの過程を本人の言葉を聞き取る形でつづっている。前掲書でも書かれていたが、何も悪いことをしていないのに、いつ解放されるのかわからず収監されるつらさはとてもじゃないが、想像できない。「人権」という言葉は日本には存在しないかのようだ。その後については、高裁で難民申請が認められなかったものの、特別在住の許可がおりたらしい。彼は今、どうしているのだろう?
アリ・ジャンは多くの人の支援で最悪の事態を免れることができた。しかし、その陰で、さらに劣悪な事態を受け入れざるを得なかった「難民」も数多くいた(いる)のだろう。知らない、では済まされないことだ。

母さん、ぼくは生きてます

母さん、ぼくは生きてます