「エルクラノはなぜ殺されたのか」

1997年に愛知県で起きた、14歳のブラジル人少年エルクラノが集団リンチを受けて殺害された事件を丹念に取材し記録した書である。犯人は複数の日本人少年。集団は20人くらいにのぼるという。
エルクラノが何か悪いことをしたのかというと、何もしていない。犯人らが「シルビアに乗ったガイジン」に車を傷つけられたとか、何かされたとか、という理由で、「シルビアに乗ったガイジン」を探そうとした。そして、「シルビアに乗ったガイジン」のことを知っているかもしれない、知っているのに話さない、という理由でエルクラノは集団リンチを受けた。なんとも理不尽な事件である。
エルクラノの両親は、提訴する。犯人が憎いというのはもちろんだが、それ以上に、エルクラノが大好きだった日本が命を大切にする国になってほしいという理由からだ。
ここで、「ガイジン」と彼らが使った言葉をそのまま使った。エルクラノは、はっきり言って「ガイジン」、しかも欧米系の白人でない「ガイジン」だから殺されたといっていい。多くの日本人の心の中に潜んでいる(多くの場合、無意識だが)、「日本は日本人のもの、外のやつが勝手に入ってきて勝手なことをするな」という排外意識が、この事件の背景にある。エルクラノたちが襲われて助けを求めたときに駅員はほとんど無視。エルクラノの両親が警察に訴え出た時に最初に突き付けられた言葉「ビザはあるのか?」などなど・・
その後、この事件を風化させないためにエルクラノモニュメントを建てる計画が出た時も、無言電話などが相次いだという。
ブラジル人(日系3世やその家族)の来日が増加したのは、入管法の変更の影響だ。なぜ入管法が変わったかといえば、日本人がやりたがらない仕事で人手不足が顕著になり、経済界からの要請を受ける形で、日本人の血を引いている日系人などが「定住」という在留資格で日本に滞在し仕事ができるようになったという背景がある。いわば日本人の勝手で「ガイジン」を雇っておいて、しかも「ガイジン」は日本人でないから差別する、という図式がまかり通っている。
最近でこそ、「多文化共生」社会がスローガンとして喧伝されつつあるが、はたして「ガイジン」を迎える日本人の心の中はどうなのか?
先日も、中国人技能研修性が殺人を犯すという事件が発生した。殺人はもちろん罪だが、報道を見ていると、「最近、中国人が増えて10倍くらいになった」など、あたかも「ガイジン」が増えたので、犯罪が起きても仕方ないというような「刷り込み」が見え隠れする。日本人が犯人だったら同じような報道をするのだろうか?
ここでは、沖縄民族やアイヌ民族のことは触れないが、これから日本は、日本人だけで生活するなら人口縮小、経済縮小という道しかない。外国人と共生するという「覚悟」が必要であり、それぞれが自分のうちに秘めている隠れた差別意識を問い直す必要がある。

エルクラノはなぜ殺されたのか

エルクラノはなぜ殺されたのか