私たちの教室からは米軍基地が見えます

普天間基地の県外移設、辺野古へ、日米合意の実行・・民主党政権が誕生して以来、よく聞いた言葉だ。でも、これらの言葉の本質をわかっている日本人はどれほどいるのだろうか?この本の表紙には、校庭でサッカーをしている子どもたちのすぐ真上を戦闘機が飛んでいる写真が載っている。そして、この小学校で子ども時代を過ごした人たちの作文と、今おとなになっての生活や基地への思いなどが紹介されている。
私も、この本を手にするまで、沖縄の基地問題は、頭の中での理解にすぎなかった。いや、理解することなく、頭の上を素通りしていた。でも、どうだ、子どもたちの、爆音と振動に悩まされながら過ごす日々。いつ戦闘機が自分の頭の上に墜落してくるかわからないとおびえる姿。街の真ん中に基地(飛行場)があるというのはこういうことなんだと、圧倒的な迫力で迫ってくる。
ただ、だからといって、即、基地をなくせ、という結論にはならない。基地で「生活」している人たちがいるという現実。これは、原発の恐怖を感じながらも原発がなければ過疎が進んでしまう原発立地の街の構造とおなじ。
アメリカと日本はいまだに対等でない。沖縄と本土もやはりまだ対等でない。と著者は指摘する。これは本土にいては自動的には感じることのできないものだろう。だからこそ、こういう「資料」は貴重なのだと思う。