母の死

19日朝、母が亡くなった。10月初めまで元気で、手術も成功して、年末には元気に退院する予定だった。こんなはずじゃ・・という思いと、なんとか助かるんじゃないかという思いなどがいろいろと交錯した。
亡くなってからは、お通夜、告別式と、父と妹といっしょに見送った。初めての経験でわからないことばかり、でも、多くの人の手助けで無事に終えることができた。

あと10年か15年くらいは二人で元気に過ごすんだろうなと勝手に思っていた。いつかは来る事態とわかっていながら忙しさにまぎれて先送りしていたが、突然に現実を突きつけられた。

これから解決しなければいけない事項はたくさんある。でも、とりあえず初七日まで終わった。当面は、父の普段の生活の援助と四十九日(七七忌)の準備と位牌の手配。

思うに、母が元気でいたら、こんなに父と話すことはなかっただろう。妹ともじっくりと話す機会はあまりなかった。そういう意味では、母が自分の死をもって家族の絆をより強めたのかもしれない。振り返ってみれば家族の中で母の存在は偉大だった。家族の司令塔だった。司令塔がいなくなった以上、残されたメンバーで協力し合うしかない。

親戚や隣近所のつながりの大きさを実感したのも今回が初めてだ。「おつきあい」は当然あるが、何をおいても駆けつけてくれる、葬儀は当たり前のこととして手伝う。そんな地域共同体だ。わずらわしさを感じることもあるにしても・・

年末の忙しいのに来てくれた、長島さん、河合さん、荒畑さん、深澤部長、池田さん、説田さん、どうもありがとう。多くの人に心配していただいているんだと実感しました。

それにしても、一人の人間が亡くなるというのは大変なことです。多くの人の悲しみを呼び、送るのにも多大なエネルギーを要します。ニュースで死者○○名と出ると単なる数字ですが、その一人ひとりに人生があって、送られる儀式があって、それを悲しむたくさんの人がいます。ふだん埋もれてしまいがちな当たり前の事実に気づかされました。今、家族と一緒に元気で過ごせていられることに感謝です。